「旅行業界」 国家旅遊局の審議通過による<旅行社条例実施細則>は2009年5月3日実行開始。
「観光情報」今年の観光業界ではレジャーの奨励やレジャー券の発行などの活動をはじめ、全面的に中国観光業の質や利益の向上
ホーム
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 現在の位置:ホーム> 胡同文化巡礼

<豊富胡同>
王府井に行ったことがある地元以外の人はとても多いが、豊富胡同を知っている人や、行ったことがある人は多くない。豊富胡同は普通の胡同です。しかしこの胡同は北京の文化でどうしても迂回してはいけない。老舎のため、「丹柿小院」のためである。

 

 

老舎故居

 

 

 

<煙袋斜街>
後海と隣接し、地安門の北側、鼓楼の南側には、煙袋斜街という北京城の最も古い斜めの胡同がある。この斜街は東西南北の四方向に向かって、全長がおよそ3百メートル。明の初め、この斜街は「打魚庁東街」と呼ばれ、清の乾隆年間は“鼓楼斜街”と呼ばれた。その年代、北京城北に住んでいた旗人はたばこを吸う嗜好があるという原因で北京城内のタバコの業界はだんだん発展してきた。たばこを吸っている時キセルを使う為、斜街に住んでいる居民は沢山のキセル店を開店した。その以降、“煙袋斜街”だけ呼ばられた。また、煙袋斜街はちょうどキセルの形のようである原因だろう。

 

 

 

<琉璃廠大街>
瑠璃廠大街は北京の南城に位置し、有名な文化街である。この大街は清の時代に建てたものである。昔、各地から科挙試験を行う挙人がこの一帯に住んでいた。なので、ここで書籍と筆墨紙硯の商店が多く、濃い文化の雰囲気を形成した。
本屋の増えることに従って、骨董、書画、陶磁器、玉細工の商店もここでも開店した。民国初期、ここには竹簡、甲の骨、商周時期の銅鼎、魏晋時期の仏像、宋元時期の人物と山水の絵などの文物を何でも売買できるが、現在は、陶磁器、玉細工、陶馬、青銅などだけ売買している。こうしても、二百年前の風情を想像することができるだろう。

 

 

瑠璃廠大街にある中国書店

 

 

栄宝斎(1672年)

 

 

<帽児胡同>
北京旧市街区域の鼓楼と地安門の間に位置し、全長は585メートル、広さは7メートル。帽児胡同の両端はにぎやかな大通りと連結している。「末代の皇后」の婉容はこの胡同には生まれて成長した。ラスト・エンペラーがここから彼の16歳の新婦につないでいく時、帽児胡同はなんとも威風があった!1世紀を経ても、彼女の実家は依然として帽児胡同のスポットライトであろう。帽児胡同9号と11号は可園であり、京城には代表的な自家の庭園の1軒である。

 

 

可園

 

 

末代皇后の婉容の写真(婉容の実家は東城区鼓楼南帽児胡同35号と37号に位置する)

 

 

<国子監街>   
 国子監街は元の初め建てたものである。明の時代「国子監孔廟」と呼ばれ、清の時代「成賢街」と呼ばれ、民国は「国子監」と呼ばれ、1965年から「国子監街」と呼ばれ、文化大革命時「紅日北路九条」と呼ばれたことがある。国子監街は古い北京城の路地の姿をよく保存している。この胡同は「孔子廟」と「国子監」(教育管理機構)があるため命名される。1984年北京の市レベルの文物保護部門になる。
 国子監街は北京ではただ一つ牌楼を残ってる胡同である。街頭に4基の牌楼が残ってある。胡同の東側と西側の入口に各1基、“成賢街”という扁額を掛けてあり、国子監の近くあちこち各1基、“国子監”という扁額を掛けてある。そして韓文公祠、明朝の火神廟、灶君廟は国子監街の街内に建ててある。
 国子監は元の大徳10年(西暦紀元1306年)建てて、元、明、清の3世代の国家最高教育行政機関と大学である。全国の重要文化保護単位である。
 孔子廟は元の大徳6年(1302年)建てて、元、明、清の3世代の皇帝が孔子の祭る場所である。孔子廟には科挙の最終合格者の碑林が198基あり、石碑の上には元、明、清の3世代の科挙の最終合格者の5万数人の姓名を刻んである。袁崇煥、曾国藩などの名前はその上に有する。全国の重要文化保護単位である。

 

 

国子監

 

 

 

<金魚胡同>
 金魚胡同は王府井の東側に位置する。
 金魚胡同は普通の胡同より広く、全長540メートルである。胡同と呼ばれるが道路だと言えると思われる。有名な吉祥劇院、東来順飯庄、台湾飯店、和平賓館、王府半島酒店(ぺニシュラ)はここにある。昔の光景は既になくなった。

 昔の金魚胡同

 

今の金魚胡同

 

 

<定阜街>
 明の時代、定阜街は定国公が居住するため定府大街と呼ばれた。民国年間、定阜の発音と近似するため、
定阜大街とよばれ、建国後定阜街と命名する。定阜街の東北側、輔仁大学の旧跡が位置する。

 

 

<菊児胡同>
 菊児胡同は北京の東城に位置する。ここの建築は北京旧市街の文化を現れる。清光緒年間、栄禄という大臣は菊児胡同3号、5号、7号に住んだことがある。3号は祠堂、5号は寝室、7号は花園であった。その上、菊児胡同7号はかつてアフガニスタンの大使館であった。
 菊児胡同に建てた新築は建築上の特色で受賞したことがある。北京が好きな外国人や初めて北京に来る外国人がだんだんこの一帯に集中してきた。現在、ここにはフランス、米国、イタリア、ドイツ、フィンランドの外国人が住んでいて、多分もっと多くの国家の友人もここに住んでいるだろう。

 

 

 

<磚塔胡同>
 磚塔胡同というのは胡同東口にあるレンガ製の古塔で命名されたのである。古塔は「元万松老人塔」だと称する。
 磚塔胡同は元の時代に建てられた。現在まで、700年の歴史を有する。
 魯迅、老舎、張恨水などの有名な作家は磚塔胡同に居住したことがある。

 

 

元万松老人塔

 

 


  関連ニュース
· 胡同の建築
· 胡同の紹介
· 胡同の文化
· 胡同の歴史
· 胡同の見学
ホーム
 | 
2006|2015  北京新日国际旅行社有限公司  All Right Reserved 京ICP備07023875