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元は元代には皇室の御苑があったが、明代に永楽帝が風水の関係から、護城河の開削の残土で人工の丘を築いた。明代には万寿山の名で呼ばれ、清の順治12年(1655年)に景山改名された。

 

「景山公園」は北京市の中心部に位置する面積2350平方メートルの公園です。「北京城」の南北中軸線の中心点になる地点で、公園の南の「景山」は高さ43メートルの丘です。頂上に建てられた「万春亭」からの眺めは「故宮全景」を見下ろし、北京市の四方を一望でき、まさに北京位置の眺望を誇ります。

 

 万春亭の東に位置する観妙亭の東側で明末に悲劇が演じられた。明の崇禎17年(1644年)、農民反乱軍の指導者の李自成が北京城に攻め入ると、崇禎帝(注2)は永王と定王の2人の皇子を紫禁城から脱出させ、皇女の長平公主と昭仁公主を自らの手で殺し、崇禎帝自身は宦官の王承恩と共に紫禁城を抜け出し景山に登った。そこで一本の槐樹に帯を釣るし縊死した。幾度か植えかえられたものではあるが、今もその場に槐樹があり説明文が添えられている。  

 北部の寿皇殿および東北方向にある観徳殿は、清代に皇帝と皇后の棺を本葬まで安置した場所である。現在は寿皇殿と園の西北部分は北京市少年宮となっている

 


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